2016年07月28日

殺陣回想

【殺陣回想】

こんばんは。
移動の電車の中で、ちょっとこれまでを振り返り。今回、下北沢公演も紀伊国屋公演も殺陣の出番があります。
下北沢「なにわ役者祭」では1対3の30手くらいの立ち回り。
紀伊国屋では、沢先生が「殺陣はこいつがいてくれないと困るんだ」と言っていただいています。誠心誠意をもって沢先生にかからせてもらいます。

僕の殺陣のルーツは、独学でいうともう幼稚園。
一人チャンバラごっこが俺の中で大流行してて(わ、寂しいなー(笑))、夕方友達との遊びから帰った後、庭でずーっと一人アクションやってた。主にリアクション(笑)
小学生くらいかな?聖闘士星矢の壁が何枚もぶっ壊れるリアクションなんか大好きだった。
あとジャッキーのスローで殴られるやつ!!

小学生高学年から中学2年生までは、割りと普通の子供に。世間並の常識を知り、人前でできないことをやることの恥ずかしさを知り、運動神経のいい人気者がジャッキーや西部警察の真似してかっこいいから、こちらはそういうことはしなくなりだし、マンガを書くことに精を出していた。まだ、オタクという言葉が有名になる前の話だ!

なんとなーく普通に中学生活を送っていた俺は、中2の秋?尾崎豊を聞き、突然自我が目覚める!なんとなくじゃダメなんだーー!!という衝動!
なんとなく普通に公立高校へ行くんだろうなーと思っていた俺は、演劇科という未知の学校へ進学。

関西伝説のチーム、ラックのヤフーン出身の徳田さんのアパートに住み込んで、約半年ヒーローアクション漬けの高校生(うちの高校はアルバイト禁止。さらには演劇科はぬいぐるみ仕事禁止でした)ひ弱な身体が毎晩夜中の屋上特訓で徐々に力強くなっていきました。

そして、桐朋学園という演劇の大学を卒業したあとの時代村である。JACの先輩に鍛えられ、そして時代村の忍者劇場全体を演出されていた山田先生にゼロから鍛えていただきました。
よく叱られました。
「早く指導者としてでなく、演出家としてヤクシャノお前と死後とをさせてくれ」
最後の最後までクリアできずに僕は時代村から独立。僕は時代村中退です。

仲間と一緒につくった笑撃武芸団で約5年。
舞台、映像、大道芸、ショッピングモール、ホームパーティー、ライブハウス、喫茶店、国際展示場、、、
色々な所でやりました。物語の中では自信があった殺陣が路上では全然うけない。
創作力が枯渇して、魅力的な殺陣が全然生まれない。
数限りない苦しみと、何千倍もの喜びとやりがいに溢れた5年間でした。

そしてフリーとなります。
ソロパフォーマンスをするようになったこと。
撮影をスタッフで参加することができたこと。
指導をするようになったこと。
そして大衆演劇との出会いが、また新たな世界を広げてくれました。

というところで、駅に着きましたので、この続きはまた今度ということで(*^皿^*)

8月4日〜7日 「なにわ役者祭」
8月8日 沢竜二「ある旅役者の記録」

よろしくお願いいたしますきらきら
posted by 青山郁彦 at 21:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする