2017年03月18日

時代村グループで育てていただいた忍者魂

時代村グループで育てていただいた忍者魂

最初は日光江戸村でした。
忍者空中活劇街道の音響&効果音からスタート。この2ヶ月半。幕間に先輩を捕まえて、素振り、落っこち、スライダーを指導していただきました。今思えば本番で疲れているのに石田さん、畝久さん、二郎さん、ありがとうございました!

最初のステージはゴールデンウィークの火の見(野外ステージ)の忍者ショー。後藤先生と健さん、会田さんと僕という編成。保利さん出演の日もありました。アドリブでアクション部の先輩がぞろぞろと舞台に乱入してきた日もありました(笑)
その後、撮影など経験させていただくも舞台デビューを果たすことなく北海道へ移動することに。

登別伊達時代村。
演目は奥州伊達戦記。出演させていただいたのは、冒頭に密書を届けて絶命する奥平隼太という役でした。
背中に矢が刺さった状態で客席後ろから落ちてきて、腹這いで花道を前進。
天井から降りてきた主人公に助けられ、書状を渡して絶命する。
この時いただいたダメだしは今でも痛烈に残っています。
「いい役者はこの一瞬でこの忍はどのくらい強くて、この使命にどんな思いをかけていたのか、人生全てを表現するぞ。」
僕の演技はペラペラで、しかも弱い未熟な忍でしかありませんでした。
郁彦二十歳。必死でした〜。

野外ステージ、大役に抜擢されるも出来が悪く1日で役を下ろされる。これも忘れられない思い出です。人様に見せるものです。厳しくて当然なんです。

夏休みなど野外ステージのカラミの忍者など経験させていただき、1年たつ頃かしら。登別の次の演目。伊達の隼と戦う最上忍の三蔵でデビュー。必死でした。先輩たちについていくだけで精一杯でした。

次の演目、伊達の梵天と戦う夜叉丸と不動丸。
この演目で頭領格の忍者もデビュー。青山の回は料金下げなきゃダメだなと、毎度ダメ出しされながらも舞台で育ててくださった先輩方に、今は感謝でいっぱいです。当時は悔しくて悔しくて仕方なかったですが(笑)
この演目の時、左膝を骨折という痛い思いもしました。医者には「ちゃんと治さないと一生びっこになるよ」と言われ、まだこれからというのに!歩けなくなったら朗読劇をしてでも役者を続ける勇気が俺にあるか?と自問自答。
2ヶ月半の実家療養。潰れそうな心を当時付き合っていた同僚の彼女が毎日電話やメールをして支えてくれました。1日も早くちゃんと治して戦線に復帰しようと。その彼女も今や立派な母親ですが(笑)

怪我から復帰してからは、忍者以外の劇場への関わりが増えました。
原宿チャイナシアターへの数ヶ月間の外部出演。三か月くらいだったかな。
遊郭劇場で殿役。背が低いあまりに太夫の会木さんには毎度苦労かけましたm(__)m
歴史劇場ができて土方歳三役。
期間限定で沢竜二公演があり、そこにも出演させてもらいました。

その後、登別では楽屋もアクション部から移り、忍者やりたいと思いつつも新しい演目でも忍者で出ることはできなくて、なんとも言えない気持ちでした。

そんな時に移動の話。日光江戸村へ。
忍者空中活劇街道でかさぎ役。
忍者からす屋敷でアクションでは初の主役、霧隠れ才蔵役をやらせていただきました。
毎燃えてました!

が、またまた数ヶ月で移動。それが伊勢戦国時代村。
大忍者劇場であー、役名なんだっけ!礫山の配下、家康の首を狙うはぐれ忍。
伊勢大忍者の演技としての殺陣のレベルの高さに圧倒される毎日でした。
当時キャリア4年目。登別でも江戸でも中堅の上というポジションだったのが、伊勢では舞台に出てる中では一番の新人という先輩だらけの部署でした。これまでのものを全てやり直すがごとく鍛えてもらいました。

次の演目では、海賊の神龍と、主役すず影役を。

そしてその次の演目で、半蔵配下の雷電と、主役の猿飛佐助を演じさせてもらって、時代村を卒業させてもらいました。お前は中退だ!修行を怠るな!と演出家の先生には最後まで優しい厳しくてこわい言葉を沢山かけてもらいましたが(笑)

そして15年。
嘘みたいだけど15年。
今、安土桃山文化村と名を変えたかつての伊勢戦国時代村の大忍者劇場で、先輩の根岸さんと一対一で演目をやらせてもらっています。
信長の忍を狙う伊賀忍。

この2ヶ月、かつての7年間の忍者生活を一つ一つ思い出しながら、心を込めて演じてきました。
残り3日!
最後の最後まで全力を振り絞ります。
これまで育ててもらった全ての先輩やお客様に感謝しながら。
posted by 青山郁彦 at 06:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする