2014年10月14日

青山郁彦回想5

2009#1 伊勢太神楽に参加
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参加するまでは知らなかった、今でも存在している門付の獅子舞。その昔、出張お伊勢参りとして始まったこの伝統は400年の時を経て、毎年決まった日にちに決まった地域へ獅子舞を行いに行く。よそ者の自分に身をもって伝統というものを教えてくれた。夜明け前に出発し、日没まで獅子を担いで歩いて舞って歩いて舞って。。土地の方々と話をして。。自分の中に新しい「芸能」の価値観が生まれてくるのをふつふつと感じた。いや、新しいでなく原点に近づいていくのか。

2009#2~3
大衆演劇巡業。会津・山形・会津
竜劇隊3度目の巡業。個人舞踊の枠も固定でいただくようになり、舞踊ショーという枠の中での約4分間の持ち時間をどう作るかという喜びを感じていた。踊りができるわけではないが、観客をひきつける武器がないわけではない。こんなに長く大衆演劇と関わると思っていなかったので、踊らずして楽しませられる自分ならではの舞踊ショーをと試行錯誤していた。また、大衆演劇独特の演技法も少しづつ覚えはじめた頃。しかしまだ踊りの要素を身に付けないと所作や演技が決まらないということには気が付いていなかった。。
また沢竜二先生が派遣切り救済活動をされていた時期で、竜劇隊にも4人の方が来られました。1年以上続いたのは坂田君一人でしたが。。

2009#4
大衆演劇学校関西校の公演。指導というものが一つの形となったので、感激。とともに自分の行動に対する責任がまた一つ。

2009#5
小笠原匡一門・和泉流狂言「若菜の会」。神楽でいった神社の境内で子舞を舞う。 習い事とは本来こうしたことなのだが、こうした形での発表の会に出演するのは幼少期含めて初めてのこと。芸を学ぶんだという自分自身にピリっと気合いが入る。役者をしてるということで負担がかからぬよう色々先生が考えてくださりましたが、これは懐が大変だと恐れ入りました。
その後竜劇隊公演に参加。昨年初めて巡業でいったぐんま県まんてん星の湯。色々自身も挑戦しつつ、坂田君との2人舞踊も作り上げた。「希望への旅」だ。踊りは未経験だが高校体操部だった坂田君に、パンチとキックを教え、アクション舞踊をつくりました。舞踊を振付するなんて人生初めて。2人いることで、自分自身もアクロバットやアクションを取り入れやすくなった。これが郁彦相舞踊の原点である。
また、ミュージカル出身の勝亦さんがこの時期参加しており、大衆演劇とまた違うショーアップした見せ方などとても勉強になりました。
若葉先生の作品「祇園祭の夜」では土方歳三役を演じ、冒頭の新撰組5人対北添佶麿&坂本龍馬の殺陣振付を依頼いただき3日間一生懸命考えた殺陣を「これは大衆演劇では見られない商業大舞台の殺陣だ」と評していただきとても嬉しかった。
個人舞踊は色々挑戦するが当たる者もあれば外れるものもあって、難しかった。何より自分自身が化粧や派手な衣装にまだまだ反発を覚えていたころだから、観客が何を見たがっているかなんてわかろうとしていなかったんだ。

つづく
posted by 青山郁彦 at 22:23| Comment(0) | 青山郁彦回想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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