2017年06月15日

「未知」が「道」

DSC_0727.JPG「未知」が「道」

今日、打ち合わせをしていて生まれてきた言葉。

「未知」が「道」

先月インドネシアへ行った時、
薦めてくれる食べ物の何は、一口目を躊躇する時もしばしば。でも、そういう時はだいたい一口目は正しく味を感じていない。
「未知」なるものへの警戒心は必要だが、
安心する相手から勧められたものでも、その不要な警戒心を持っていると、沢山のものを感じられずに損しているのではないか。

シェイクスピアの「ハムレット」の有名な台詞にもあります。
To be or not to be, that is a question.
生きるべきか死ぬべきか それが問題だ
(または このままでいいのかいけないのか)
っていうあれです。
この台詞はこの後こう続きます。
死後の世界を知らないから恐れるのだ。
未知なる世界へ飛び込むよりも、住み慣れた今の環境に安穏と暮らすのだ
と。

先日書いた
「初心忘れるべからず」
は、いつだって今が初心だという気持ちを忘れるな。ということ。
初心とはつまり、未知なるものへ挑むときの心だ。

未知なる世界を前にしたとき、そこで立ち止まることは、そこに留まるということ。
未知なる世界を前にしたとき、そこへ踏み出すということは、それがつまり振り返ると道になっているということ。

僕はいつも自分で言ってるじゃないか。
いつだって初めて。
どんなに何度も繰り返したことをやっていたとしても、時は常に流れていて、例えば今の僕は人生でたった一度の、そして二度と経験することのない41歳という時間を、今まさに体験している最中なんだ。

「未知」が「道」になる。
「道」は「未知」なるものの結果である。
振り返るとそこに「道」ができているのである。

つまり、進み続けるには未知なるものを受け入れる勇気や気力が必要だってこと。

伊勢の大忍者劇場へ昨日から伊賀忍びとして出演しています。
役者として当然のごとく、常に少しづつでも表現を深めていくことを心に置き、
修行場と定めたこの地での生活で、前進でも後退でも上昇でも地にもぐるでも何でもよいので昨日と違う今日を生き、そして明日はそれを壊していこう。
既に節々が痛いのも41歳の自分の現実。これをどう受け入れ乗り越えるかは、15年前の俺にはなかった未知の世界。
信長の忍の稽古も始めました。
来週いただいたテレビ収録の振付の殺陣も考え始めてます。青山郁彦グループ10名で参加。
一日で稽古とカメリハ、公開収録まで。お相手は絶対に怪我も恥もかかせられないスターさん。未知なる挑戦です。
インドネシアの渡航日が今日決まり、行って本番ですぐ帰るかつかつのスケジュールになりました。
その分、伊勢に出演する期間を伸ばせそう!
日々の出来事に、ためらうことなく受け入れ行動に移していこう。

誰だったか高名な剣術家の極意は、頭が痒いときに頭に手がいくように動くことであると書いてある。
普段当たり前の無意識でもやってるこの動作を、命をかけた、しかも高速で判断すべき状況でできることが極意なのである。斬られたくないから先に相手を斬る。頭を斬られそうだから避ける。当たり前のことなんです。

知ってることも知らないことも関係ない。
知らないことは知らないし、分からないものは分からない。ただそれだけ。
恐怖や恐れや躊躇、保身はいらない。
行くべきなら行けばいいし、行く必要がなければ行かなければいい。
「未知」なるものに出会ったときこそが「道」の生まれる瞬間であり、自分自身が形成される瞬間なんだ。その選択こそが「道」の正体なんだから。

この世界には圧倒的に知ってることより知らないことの方が多い。
限られたこの人生で、どの「未知」なるものに目を向けるのか。

怖れず進もう。
ただバカみたいに進むんじゃなく
しっかり準備して、しっかり危機対応して、しっかりと五感を磨き、心を磨き、己の歩みを感じながら歩いていこう。

僕の道は、未知なる前方に広く存在している。
posted by 青山郁彦 at 20:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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