2015年06月26日

過去の観劇 見れなかった公演 大学編

過去の観劇7 見れなかった興味深々の舞台(大学時代)

大学時代、見たいけど見れなかった作品が何本かあります。なんで見れなかったんだろう?お金?稽古?バイトのシフト?見たい公演が重なってた??理由は全く覚えてませんが、これは見たかった(体験したかった)という今でも覚えているのをいくつか。

劇団名や公演名はどれも覚えていません。

湯島天神で行われた公演で、客席で見るか、セットの一部として麻袋につめられて舞台上の超アリーナ席で観劇(体感)するかを選べる公演。どんな話かなんてチラシ見ても全然頭に入ってきません。ただ、2時間すた袋に放り込まれて舞台上に放置されるというのがどういう作品なのか、めちゃくちゃ興味深々であった。なんで見に行かなかったんだろう。。。
袋詰めを経験した友人の話によると、目の前に違う客がどさっと転がされて何にも見えなくて最悪だったと言ってた(笑)

どこかの駅に夜22時くらいに集合して、バスで山の中へ連れて行かれて、翌朝解散というお芝居。山小屋か、山の中かなんかで8時間くらいかけて上演するとかなんとか書いてあった気がする。これもイカレテルと思ったので、めっちゃくちゃ見に行きたかったが、、、結局こういうとんがった作品は1本も見に行ってないんだな、俺。。


あれ、こんなもんかしら。。。
また思い出したら、、ということで。
意外と見れなかったという思いでは残らないものですな。
いや、ほとんど見た倒していたのだろうか。正直2年になるころには観劇疲れも起こしていたなぁ。。
posted by 青山郁彦 at 09:18| Comment(0) | 青山郁彦回想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月14日

青山郁彦回想5

2009#1 伊勢太神楽に参加
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参加するまでは知らなかった、今でも存在している門付の獅子舞。その昔、出張お伊勢参りとして始まったこの伝統は400年の時を経て、毎年決まった日にちに決まった地域へ獅子舞を行いに行く。よそ者の自分に身をもって伝統というものを教えてくれた。夜明け前に出発し、日没まで獅子を担いで歩いて舞って歩いて舞って。。土地の方々と話をして。。自分の中に新しい「芸能」の価値観が生まれてくるのをふつふつと感じた。いや、新しいでなく原点に近づいていくのか。

2009#2~3
大衆演劇巡業。会津・山形・会津
竜劇隊3度目の巡業。個人舞踊の枠も固定でいただくようになり、舞踊ショーという枠の中での約4分間の持ち時間をどう作るかという喜びを感じていた。踊りができるわけではないが、観客をひきつける武器がないわけではない。こんなに長く大衆演劇と関わると思っていなかったので、踊らずして楽しませられる自分ならではの舞踊ショーをと試行錯誤していた。また、大衆演劇独特の演技法も少しづつ覚えはじめた頃。しかしまだ踊りの要素を身に付けないと所作や演技が決まらないということには気が付いていなかった。。
また沢竜二先生が派遣切り救済活動をされていた時期で、竜劇隊にも4人の方が来られました。1年以上続いたのは坂田君一人でしたが。。

2009#4
大衆演劇学校関西校の公演。指導というものが一つの形となったので、感激。とともに自分の行動に対する責任がまた一つ。

2009#5
小笠原匡一門・和泉流狂言「若菜の会」。神楽でいった神社の境内で子舞を舞う。 習い事とは本来こうしたことなのだが、こうした形での発表の会に出演するのは幼少期含めて初めてのこと。芸を学ぶんだという自分自身にピリっと気合いが入る。役者をしてるということで負担がかからぬよう色々先生が考えてくださりましたが、これは懐が大変だと恐れ入りました。
その後竜劇隊公演に参加。昨年初めて巡業でいったぐんま県まんてん星の湯。色々自身も挑戦しつつ、坂田君との2人舞踊も作り上げた。「希望への旅」だ。踊りは未経験だが高校体操部だった坂田君に、パンチとキックを教え、アクション舞踊をつくりました。舞踊を振付するなんて人生初めて。2人いることで、自分自身もアクロバットやアクションを取り入れやすくなった。これが郁彦相舞踊の原点である。
また、ミュージカル出身の勝亦さんがこの時期参加しており、大衆演劇とまた違うショーアップした見せ方などとても勉強になりました。
若葉先生の作品「祇園祭の夜」では土方歳三役を演じ、冒頭の新撰組5人対北添佶麿&坂本龍馬の殺陣振付を依頼いただき3日間一生懸命考えた殺陣を「これは大衆演劇では見られない商業大舞台の殺陣だ」と評していただきとても嬉しかった。
個人舞踊は色々挑戦するが当たる者もあれば外れるものもあって、難しかった。何より自分自身が化粧や派手な衣装にまだまだ反発を覚えていたころだから、観客が何を見たがっているかなんてわかろうとしていなかったんだ。

つづく
posted by 青山郁彦 at 22:23| Comment(0) | 青山郁彦回想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月02日

青山郁彦回想4

0.jpg2008#8〜9 2回目の竜劇隊
栃木県かみのぶ健康センター。
分からないながらも個人舞踊の出演枠をしっかりいただき、芝居でも役をいただくようになってきた。

秋には沢竜二公演でニューヨークとブラジルに。

ソードブルの撮影も、奇跡的に巡業と重ならずに順調。

殺陣を考え直すにはいい機会だと、この時期東京の若駒アクションクラブやネオマスク、関西では魅殺陣屋、功力さんの所など、よその稽古場にも色々お邪魔して勉強させていただいた。
空手にまた通う時間ができたのもこの時期。鍛え直しの年だった。


敬老会やショッピングセンター、祭の仕事もピンでいただくようになり、秋頃に、このままフワフワ芸事をしては失礼だと思い、改めて職業として芸事に生きると決めた。

11月頃かしら、現在につづく第一回殺陣ワークショップを開催。

12月には、復活と一年間の報告の意味を込めて、日本橋プラッツにて単独ライブ「青山郁彦大道講談二本立て」を上演。

フリーの役者、青山郁彦がスタートした2008年でありました。


つづく
posted by 青山郁彦 at 23:18| Comment(0) | 青山郁彦回想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする