
9月のなかなか大変な公演が無事に終了しました。
2008年2月、全てを投げ出したあのときからは考えられない毎日です。
フリーの役者・青山郁彦がスタートした2008年4月からをここで振り替えってみたいと思います。
2008#4
関西テレビで日曜深夜に放送されていたアクション時代劇「ソードブル」のアクションスーパーバイザーのオファーをいただいたのが、郁彦再スタートのきっかけ。
もう就職先も決まっていたのですが、社長さんの理解もいただき就職を辞めてロケに行きました。
「ソードブル」監督のスタジオサムライプロジェクトと、水配送会社の社長さんは、役者青山郁彦の恩人であります。
金輪の銘電役をいただきつつ、約1年間、アクションスーパーバイザーを務めさせていただきました。撮影でのアクションについても沢山勉強させていただきました。
2004#5
撮影も終わる頃、2年ぶりくらいに沢竜二先生から急な電話。
「以前話をしていた大衆演劇学校関西校を来月からオープンするから殺陣を受け持ってほしい」と。
以前て2年も前の話ですけど(笑)
色々あって人生のスケジュールが白紙であることを告げると、5月末の新宿公演と6月群馬県の竜劇隊公演のお話をいただいた。
沢竜二先生は、2000年に登別伊達時代村で3ヶ月沢竜二公演が行われた時に時代村の役者として参加。その後時代村を辞めた2002年に広島名古屋と2ヶ月の沢竜二公演、12月の浅草公会堂座長大会に出演させていただいて以来6年ぶりの再会。まさかその後6年、大衆演劇を続けるなんて夢にも思わなかった。
大衆演劇学校は週一回のカルチャースクールのような形体でほとんどが東京からの先生。殺陣は、自分と菊地剣友会の菊地竜志先生で行われました(@ ̄□ ̄@;)!!
とはいえ大衆演劇なんて全く分からない俺。ジャンル問わずに通用する殺陣の基本を教えさせていただきました。この大衆演劇学校もみんな忙しくなり2年ほどでおしまいになりましたが、懐かしい思い出です。
新宿スペース107の沢竜二公演は2日替わりの6日間3演目。
自分は最初の4日を出演し、残り2日をまさかの単身荷物とともに群馬県乗り込みという今考えたら信じられないスケジュール。
助っ人のケンさん一家と合流し、わけも分からぬままに群馬県の劇場でトラックから荷物降ろして仕分けして、劇場や寮の掃除をして待ってました。
つづく