2014年10月02日

青山郁彦回想3

8.jpg2008#7
獅子吼の夏祭り。
笑撃武芸団時代に演芸というものをみっちり鍛え込まれた祭です。
演目を作るつもりと言われたといえ、武器を持たずに乗り込めません。
そうした中出来上がったのが、青山郁彦一人芝居シリーズの原型、【大道講談】「郁版・桃太郎」
大阪城天守閣でまず発表。場外ホームランか空振り三振スッ転んで脳震盪という決意で向かいました。
一度は引退を決めたと分かった上でのオファーなら、無難な線は捨て去って、本当に自分がコレダ!と思うもので勝負しよう!

ホームラン、出ました。
1週間の滞在中に、地元民話を題材にした大道講談第2段「一坊・仁太・三太(現・白山の仇討ち)」も生まれました。
そのまま名古屋へ向かい、大杉で桃太郎上演。

一人で作品をしていくという気持ちが立ち上がった大事な祭でした。

以降、大道講談、大道芸でピンで仕事をさせていただくことに◎
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2014年10月01日

青山郁彦回想2

0.jpg2008#5
初めての竜劇隊公演。
座長の木内さんとは2000年と2002年に、ひかる光一さんと岡本茉利さんは2002年にご一緒させていただいてましたが、それ以外の方とは初めまして。
前半は宝海劇団と合同。
大衆演劇を知らない外注役者に関わらず、殺陣の振り付けをさせていただけたのは嬉しかった。俺自身が大衆演劇を学びながらも、他の大衆演劇では絶対に見れない殺陣をつけるんだと燃えてました。
舞踊ショーの時間は出番がなく音響と照明のみの日が続いたので、途中から光一さんに頼み込み、3日に一曲のペースでオープニングとラスト舞踊を教えていただき、ショーの出番も少しづつ。中頃には相舞踊のねぶた節を三人舞踊にアレンジして出させていただき、ラスト1週間では、自分で選曲振り付けした「ロカビリー剣法」で舞踊ショーをデビューしました。
毎日日替わりの大衆演劇でしたが、若くて元気な当時15歳位の大空くんや(最近映画るろうに剣心で芝居小屋で抜刀斎役をやってました)、大野剣友会と関わりの工藤さんがいたり、楽しい座組でした。

その公演も真ん中を過ぎた頃、2年前くらいまでグループでレギュラー出演させていただいていた石川県獅子吼の大道芸祭から連絡をいただきました。「郁さん、ピンになったんだって?ピンで来ませんか?」
郁「俺、ピンでできる演目ないよ」
「演目つくるつもりでいいから来てくださいよ」

こうして撮影・大衆演劇に続いて大道芸と俺の芸事の道が繋がったのでした。

つづく
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青山郁彦回想?

0.jpg9月のなかなか大変な公演が無事に終了しました。

2008年2月、全てを投げ出したあのときからは考えられない毎日です。
フリーの役者・青山郁彦がスタートした2008年4月からをここで振り替えってみたいと思います。

2008#4
関西テレビで日曜深夜に放送されていたアクション時代劇「ソードブル」のアクションスーパーバイザーのオファーをいただいたのが、郁彦再スタートのきっかけ。
もう就職先も決まっていたのですが、社長さんの理解もいただき就職を辞めてロケに行きました。
「ソードブル」監督のスタジオサムライプロジェクトと、水配送会社の社長さんは、役者青山郁彦の恩人であります。
金輪の銘電役をいただきつつ、約1年間、アクションスーパーバイザーを務めさせていただきました。撮影でのアクションについても沢山勉強させていただきました。

2004#5
撮影も終わる頃、2年ぶりくらいに沢竜二先生から急な電話。
「以前話をしていた大衆演劇学校関西校を来月からオープンするから殺陣を受け持ってほしい」と。
以前て2年も前の話ですけど(笑)
色々あって人生のスケジュールが白紙であることを告げると、5月末の新宿公演と6月群馬県の竜劇隊公演のお話をいただいた。
沢竜二先生は、2000年に登別伊達時代村で3ヶ月沢竜二公演が行われた時に時代村の役者として参加。その後時代村を辞めた2002年に広島名古屋と2ヶ月の沢竜二公演、12月の浅草公会堂座長大会に出演させていただいて以来6年ぶりの再会。まさかその後6年、大衆演劇を続けるなんて夢にも思わなかった。

大衆演劇学校は週一回のカルチャースクールのような形体でほとんどが東京からの先生。殺陣は、自分と菊地剣友会の菊地竜志先生で行われました(@ ̄□ ̄@;)!!
とはいえ大衆演劇なんて全く分からない俺。ジャンル問わずに通用する殺陣の基本を教えさせていただきました。この大衆演劇学校もみんな忙しくなり2年ほどでおしまいになりましたが、懐かしい思い出です。

新宿スペース107の沢竜二公演は2日替わりの6日間3演目。
自分は最初の4日を出演し、残り2日をまさかの単身荷物とともに群馬県乗り込みという今考えたら信じられないスケジュール。
助っ人のケンさん一家と合流し、わけも分からぬままに群馬県の劇場でトラックから荷物降ろして仕分けして、劇場や寮の掃除をして待ってました。


つづく
posted by 青山郁彦 at 13:55| Comment(0) | 青山郁彦回想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする